大阪の交野市にあります、磐船神社⛩️に行って来ました~🤗家族といったので、あまり浸れませんでしたが、パワーはめちゃめちゃいただいた気がします~🍃
磐船神社ホームページ
- 物部氏の遠祖神(とおつみおや)天孫饒速日命をお祀りする神社です。
- 天の磐船を御神体とする饒速日命降臨の聖地です
- 十種瑞宝鎮魂は日本の祈祷の根本であり、饒速日尊が天照大神より授かり伝えたものです
- 御神体や行場岩窟をはじめとする巨石群は古代の磐座祭祀を現代に伝え、古代の人々と同じ空間を体感できる場です
これだけです~🤣🤣今のご時世でこれだけとは、信頼出来ますね✨
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そのかわり、Wikipedia😅
交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。
神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承が先代旧事本紀にもある。 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。 中世以降は、山岳信仰や住吉信仰の影響を受け、現在も境内には垂迹神の住吉大神の四体が連なる本地仏の石仏や不動明王石仏を初め神仏習合の影響が色濃く残されている。
1987年(昭和62年)には、伴林光平による二首の歌碑が伴林光平先生崇敬会により奉納され、一首は獄中で詠まれた辞世の句である「梶を無み乗りて遁れん世なられば 岩船山も甲斐なかりけり」で、もう一首は『奇国祝』と題され「神国はいわほとなりてうごかねばよせてはかえす沖の白波」とあり、同年の12月17日に当時の住吉大社宮司西木泰の揮毫によって境内の巨石の裏に建立された。
神社のすぐ横を磐船街道が通っている。 かつては国道168号線の一部であり、大阪府交野市と奈良県生駒市の県境近くに位置する神社付近では道路幅が狭く、すれ違い渋滞の名所だった。川幅も巨岩が跨ぐほど狭く、過去にはたび重なる天野川の氾濫により、社殿・宝物などの流失が続き、防災上のネックとなっていた。1997年(平成9年)に道路改良工事と河川防災工事が竣工し、磐船神社に入る手前で道路と河川がバイパスされ、道路は新磐船トンネルを、河川は天野川トンネルをくぐることとなった。現在では路線バスや付近の住民などを除き大半の車がバイパスを通行している。神社付近は昔日の静けさを取り戻している。
Wikipediaの方は、なかなか詳しいです😅
何か、パワーを貰えるような、ワクワクする感じで、行きました~🤗
行く前に調べましたら、一人では、岩窟(岩の洞窟)に入れないとの事で、無理やり主人と行きました~🤗珍しく連れていってくれた~🤣🤣嬉しい🎵
荷物も預ける?って~((( ;゚Д゚)))前に居られた方が、荷物も預けたので、私も預けました。そんなに~🤔って思いながら行きましたら~😵
凄かった~((( ;゚Д゚))
少し?ポッチャリしてるかたは、難しいのでは、というくらいに、細いところでした。
社務所の方に、溝にはまったりするので、気を付けてください❗って言われておりました~、私は笑ってましたが・・引き寄せなのか、はまってしまったのです😅どういうこっちゃ~🤣🤣
エネルギーはホントに頂いた気がします~🍃
天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)
物部氏の祖先とも言われております(にぎはやひのみこと)です。
長髄彦は饒速日尊の部下だったと云われております。
ナガスネヒコ(長髄彦)は、神武天皇と2回、戦いました。そのため、神武伝説の中では、最大の仇役として描かれており、後世にその名を残しています。神武天皇と1回めに戦ったのは、大阪についた神武天皇たちが、大阪湾から陸路で大和へ攻め込もうとしたときです。
太陽を背に、長髄彦が戦ったので、神武天皇は負けたとか・・
その長髄彦の妹、トミヤヒメ(登美夜毘売)と饒速日尊は結婚しましたので、部下になったとも、云われております。
1回目の神武天皇と戦ったとき、ナガスネヒコは、神武天皇の兄を殺したため、神武天皇の東征には、「復讐」という意味も加わるようになります。
神武天皇と2回めに戦ったのは、和歌山から陸路で大和に攻め込まれたときで、生駒山の麓の石切の日下で、神武天皇率いる皇軍と戦いになります。
その時、金鵄(きんし)が現れて、眩しくて~((( ;゚Д゚)))戦えず、神武天皇が勝ったとか❗
以前の、石切神社⛩️編にも少し書いてます😅
長髄彦本拠:奈良県生駒市上町。神武天皇と戦った場所。「長髄彦本拠の碑」がある。
金鵄発祥之地(きんしはっちょうの地):奈良県生駒市。金の鵄(とび)は「金鵄(きんし)」とも呼ばれており、金鵄の現れた場所。日本神話は謎だらけです😅
岩窟の最後のほうに、社がありました。そこに、登美○○大神とありました~🤣🤣
○○のところは・・忘れてしまったのです😅昨日なのに❗
すいません
瀬織津姫命神は居ないのですね😅
岩窟、ホントにパワースポットでエネルギーを貰っただけでなく、生まれ変われるとか~🤗生まれかわりの穴なるものがありました。
運動にもよかったです😅ってか、足が痛いです~🤣🤣
神話はまた、まとめてから話したいです~🍃少々お待ちあれ~🤗
大阪にこんなところがあったのか~🤗と主人も結構、喜んでおりました~🤣🤣
ではこの辺で~👊😆🎵
読んでいただきありがとうございます
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