日本は、世界一と言っても過言ではないくらい、安全な国と言われています。私は、海外は香港、マカオの旅ではないですが、その2国しか行ってないので、言える立場ではないですが、自動販売機があったりするのも、治安がよくて安全が故ですよね。
海外によく行く友達も、貴重品は肌身離さず持つのは当たり前だと言っていました。
また何年か前には、日本人はすぐに謝る⁉️悪いこともしてないのに~🤣🤣と疑問に思われてたり、背後を気にせず歩けるのは、日本だけ~🤗とか、言っていた時期もありました。
何故、日本人は自粛するのか?
同調圧力
同調圧力なのか?人に迷惑をかけない精神からなのか?利他主義?
それはそれで、いいことなのですが、暴動も起きず、日本人の本当に良いところです~🤣🤣
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心穏やかに❗は大切です✨
日本人は十分清潔ですし、靴は玄関で脱ぐは、トイレの後は手を洗うわで大丈夫です~🤗
若い人は、本能で解ってると思うのですが、私くらいの団塊ジュニア以降の人達は、ほぼほぼ洗脳されているので、テレビに左右されやすい✨
前に比べると、コロナ劇場で過剰に不安を煽るというような事はないですが、まだ、ソーシャルディスタンスは言われてます❗go to キャンペーン大盛況で、守ってますか~🤣🤣
空港、ひとがいっぱいですよね~🤣🤣
最近は、少し報道も潮目が変わったのか、陰謀論も取り上げていて、驚きました😅巷でコロナはデマだとか?デマですけどね😉下にもあります世界政府✨一部の富裕層に支配されている❗されてますけどね✨
そして、死というものに、免疫がない❗というよりも、安心したい、という気持ちが強いからなのか?
安心安全神話の、お花畑にいるので、気がつかない❗
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現代社会では死があまりにも遠いものになってしまったとも感じる。人間には突然死んでしまうことがありうることを意識しながら生きるという生活態度が現代人には希薄なのです。だから、リスクがゼロにならないと安心できず、過剰な対策に走ってしまう。
中省略
排除をするのは、自分にも感染リスクがあることを想像できていないことの裏返しです。自分が(他者とは)異質な存在に転換するきっかけは常にあるはずなのに、それに対する想像力が欠如しているから異質なものを排除してしまう。これは日本社会の非常に悪いところ
結局のところ、人間は寿命
で亡くなるのでは?
イスラム教での死とは?
信仰心が違う
宗教次第で考え方も違う❗日本人は、多神教だし、仏教と言っても、海外に比べれば、信仰心が薄いと言ってもいいくらいです。
信仰心が薄いというよりも、常に、神様が、宿っている?と考えた方がいいかもしれませんが・・
日本に、来ているインドネシアの女の子たちは、イスラム教で、今現在も、お祈りは欠かさず、しているとの事でした~🤣🤣
びっくりしましたよ~🤗
イスラム教では、死を永遠の来世への通過点とし、マイナスと考えません。
通過点であるため葬儀や埋葬も簡素です。
誰もが死後天国へ行けると信じているため、死の不安に襲われることは日本人より少ないように思います。
日本人がイスラム教の死生観に学べることは少なくありません。
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キリスト教での死とは?
質問: クリスチャンにとって「死」とはどういうことなのですか。 答え: 死とは本来、いのちの源である神様との関係が断絶状態にあることを意味しています。故に、イエス・キリストを信じることによって神との関係が回復されたクリスチャンに上って、死とは永遠のいのちへの始まりです。すでにキリストの十字架の血潮によって罪を赦されたものは、死に向かう人生ではなくて、永遠のいのちに向かう人生を生きているのです。ですから、恐れる必要はありません。 「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38~39) 永遠のいのちはキリストを信じた時からすでに始まっています。この世のいのちと死後のいのちとは、たとえば、序曲とそれに続くオペラのように密接な関係でつながっています。クリスチャンにとって、死は取り返しのつかない終末ではなくて、新しいいのちの始まりです。イエス・キリストが十字架上の死を乗り越えて復活されたように、死後に天国で、先に亡くなった愛する人たちと再会し、ともに神の無限の愛に包まれて生き続けるという希望が、キリスト教信仰の根底を支えています。ですから、聖書は死について、あきらめに沈むような言葉ではなく、喜びにあふれた表現で人々に語りかけます。 「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書第11章25節) |
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つまり、キリスト教では、死は始まりであって、苦しいものではない。
日本以外の国の人々は、治安の悪さも手伝ってか死に対して、常に身近に感じているということです。
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さてさて、日本人は?
日本は安全
何で死ぬかはわからない
当たり前のように日本に居ると気付かない❗人間、いつ死ぬかわからないのです。
以前のblogにも書きましたが、君の膵臓をたべたいなる小説が映画やら、アニメにもなり、一時期話題になりました。
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膵臓癌を患っていた女の子なのですが・・
ネタバレになりますが、最後は通り魔に刺されて亡くなるのです。
衝撃でした~😑
何が起こるかわからないということです。
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また、去年?今年、話題になりました、100日後に死ぬワ二もありましたね😅
これも、期待していましたが、最後は、車に引かれたか?少し謎目いてはいましたね😉
日本人には、死生感が薄いのかもしれません。
これは「この世で何をすれば地獄ではなく天国に帰れるのかを知らないというのは不安でしょ?」と言い換えられます。
キリスト教徒もイスラム教徒も、とりあえず死んだあとの地獄逝きさえ回避できれば、この世で生きるうえで「死への不安」は和らぐわけです。
イスラム教徒の友人が言うには、天国に帰るか地獄に逝くかの決定の際に、それほど厳しい審査があるわけではなく、天国に帰るための一番の近道は、唯一神であるアッラーを信じることだそうです。
これはキリスト教でも同じで、クリスチャンであるうちの嫁さんによると、唯一神であるイエス・キリストを信じることでとりあえずは天国に帰れます。
ややこしいのは天国にもランクがあって、この世での行いが悪いと「地獄よりはぜんぜんマシだが監獄のような天国」に帰り、熱心に教会で祈りを捧げたり、他人を助けたりすると「最上の天国」に帰ることができるようで、天国に帰っても格差社会の枠組みからは出られないようです。
いちばん良くないのが自殺で、自殺すると問答無用で地獄逝きが決定し、地獄ではエンドレスなsiksa(拷問)が待ち受けているのでクリスチャンは基本的に自殺しないらしい。
日本人の自殺が多いのは無宗教が原因であり、地獄逝きが判っていれば自殺なんてしないはずだ、といううちの嫁さんの見解にも一理あると思います。
昔も自殺が日本人に多いのは、無宗教だからといっていた時がありましたよ😅
私も、武漢でコロナウィルスが流行っていたときは、これが日本に来たら大変だと思ってましたが・・
蓋を開ければ、死者数があまりにも少ない?ん~🤔あれ~😮
と思って調べ始めたのが、始まりでした❗
今では、blogまですることになるなんて~🤣🤣
日本人の、縄文spirit✨
文明の移り変わり❗
備えあれば憂いなし~🤗
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「雨にも負けず」
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体をもち 慾はなく 決して怒らず いつも 静かに笑っている 一日に 玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく 見聞きし 分かり そして 忘れず 野原の 松の林の 陰の 小さな 萱ぶきの 小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って 看病してやり 西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば、 つまらないから やめろと言い 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏は おろおろ歩き みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ 褒(ほ)められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい
ざ、昔の人✨
そういうものに私はなりたい
最後の一文がいいですね
ではこの辺で~👊😆🎵
読んでいただきありがとうございます
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